わたしがヴィーガンになったワケ②
こんにちは
わたしがヴィーガンになったワケ①の続きですが
自分の気持ちを封印したまま、
日々が過ぎていって、
自分のそういう気持ちを封印したことも忘れ、
わたしも普通にお肉を「おいしい、おいしい」と食べ続けました。
それが、結婚を機に自分で料理を頻繁にするようになってしばらく経ってから、
〝生のお肉〟を調理することに、抵抗を感じていることに気が付きました。
「触りたくない、グロい、なんとなく気持ち悪い」
そんな感じでした。そして、何でそんなこと思うんだろう⁇別に食べるのは平気だったのに。特に周りの人達はそんなこと思っていなさそうなのに。と自分を探っていった結果、思い出したんです。
「そうだ、わたしお肉を食べたくなかったんだ!」
もぅ、はっ!としました。
そうだった、そうだったよと、今まで十数年?すっかり忘れていた、あの出来事、あの気持ちを思い出したんです。
「豚さん、牛さん、鳥さん、可愛いじゃん。
殺すなんてひどいよ、かわいそうだよ。
それなら、わたしお肉いらない。」
それ以来、わたしは自分でゴハンを作る際に、お肉を使うことをやめていきました。
カレーや、肉じゃが、炒め物、あらゆる美味しい料理には、お肉が入っているものですが、ググったり、自分で工夫したりしながら、お肉を使わなくても、料理は美味しいことを知りました。
すごく嬉しかったです。
「もう、〝美味しい〟と引き替えに、動物たちを殺さなくてすむ。もう悲しい思いをして、料理を食べなくていい!」
ヴィーガンという食生活はわたしにとって、
世紀の大発見でした。
もちろん、すぐに全くお肉を食べなくなったわけではありません。
訳あって、その頃にはすでに身体のにいいからとか、ヘルシーだからとか、『考えて食べる』ことをやめていたわたしは、
「それでも、どうしても食べたい」と感じたときは、躊躇なく、美味しくお肉料理をいただきました。
そういう中途半端な状態のなか、その都度その都度、「本当に食べたい??」
「食べて、どうだった? 美味しかった?
もう一度食べたい?これが、もしお肉なしで同じような味だったら?」と、自分の心と会話してきました。
そうしていくうち、ある日〝鳥の唐揚げ〟を食べていたら、「美味しい」とは感じない自分に気が付きました。美味しいと言えば美味しいのですが、別にすごい食べたいわけじゃなかったな、みたいな。
それから、今ではまったくと言っていいほど、お肉料理は食べていません。
でも、今でもやっぱり、チーズや生クリームは〝美味しい〟と感じるし、食べたいと思ったら絶対ガマンせず食べます。
お肉料理を本気で、「もう、ごちそうさまでした。」と思ったのは、たぶん、十分満足できたからなんだと思います。
動物たちが可哀想だから、食べるのをガマンしたんじゃなくて、可哀想だ悲しいと言いながら、それでも「食べたい」という、わたしの欲に真剣に向き合って、その欲を満足させたからなんだと思います。
わたしは、動物たちにヒドイことをする人間になりたくないのと同じくらいか、たぶんそれ以上に、わたしはわたしに優しくありたかった。
「かわいそうだと言いながら、食べてもいいんだよ。もちろん、食べなくてもいい。優しいあなたが大好きよ。」と自分に言いつづけました。
だから、本当に自分の好きな食生活を選べてるんだと思います。
どっちも選べて、どっちを選んでもいい。
この状態ではじめて〝選べる〟し、
選ぶことができるって幸せです。
そういった意味では、「お肉を食べる」という選択肢をくれた母親は有難い存在だったのかもしれません。
「食べる」を十分に知って、
「食べない、だって動物が可愛いから。」を選べたから。
まったく話はとびますが、
ヴィーガン料理って胃もたれしなくていいです(笑)
そして久しぶりのスタバ!
あぁ〜
ヴィーガンのスイーツ屋さんとカフェが近所に欲しいと感じる今日この頃です
あったら毎日行くのにな(笑)
by SACHI