Happiness of woman

アラサー子なし専業主婦の幸せな世界。

それ、嘘ですよね??

こんばんは流れ星

アファーメーションって知ってますか??

あぁなりたいなぁ、
こぅなりたいなぁ、
あれ欲しいなぁ、
という理想の自分や状態、欲しいものを肯定的な言葉で紙に書いて、毎日言う、といったものです。


自己啓発系の本や、ビジネス系の本に、
「絶対やるべしっ!」「金メダリストの○○さんも、大企業トップの○○さんも実践!」的な感じてで、結構ゴリ押しされてます。


「自分を変えたい」「もっと素晴らしい人生を」「もっとお金を」「もっと自由を」と、
ほんっとに切望していたときに、わたしアファーメーションとか毎晩のようにやってました(笑)


いま振り返ると、恥ずかしいやら、イタイやらで、まじ誰にも言わずに墓場まで持っていきたいくらいの記憶ですがゲロー


アファーメーションって、本当意味ないです。
意味ないどころか、やり続けてるとメンタル病みかねないと思います(笑)


そもそも、


理想の状態とか、
理想の自分とか、
欲しいものとか、
アファーメーションを毎日やらなきゃいけないくらい頑張って、神経張り巡らせて、自分を自分で奮い立たせるみたいなことしなきゃ、
手に入らないと思っていることが危うい。


てかてか、

その〝理想〟や〝欲しいもの〟って、本当の本当に望んでいるものなのかも、相当危ういんです。

「アファーメーションやって、なりたい自分になろう!」なんて思ってる人間は特に。( 昔のアタクシです笑い泣き)


わたしは、アファーメーションなんてやって手に入ったものは何もありませんでした。
それどころか、やってみると分かると思うんですが、アファーメーション言ってる時って、めっちゃ違和感あるんですよね。


例えば、毎日楽しく充実した日々を過ごしたいと思って、
『わたしは毎日楽しく充実した日々を過ごしてます。』っていうアファーメーションするとするじゃないですか。
でも、実際には毎日行きたくもない会社に行って、土日は疲れ切って寝るだけで、「あぁ〜、なんだかなぁ」って悶々としてたりする。
そうすると、アファーメーションで言ってる〝理想のわたし〟と〝実際のわたし〟のギャップを確認して、大方へこんだり、焦ったりします。それから、奥底の深い深い〝わたし〟がキレたりします。
「 はぁ?!?!『毎日楽しく充実?!』ふざけんな、毎日鬱々、虚しいだろ?!お前なに嘘こいてんだよ?!」って。

表面上の世界を生きる〝わたし〟と、
奥底の深い深い世界を生きる〝わたし〟の言動と気持ちが一致してないので、上手くいくわけがないんですね。


「 わたし毎日鬱々してて、虚しいよ。」


と涙する奥底の〝わたし〟を置いてきぼりにして、そんな〝わたし〟と対話するのをすっ飛ばして、アファーメーションで嘘の現実を言って、何とかしようと必死になる。


『毎日楽しく充実した日々を過ごす』
のは結構なことだけど、今「鬱々と虚しい」と感じているなら、まず焦点を当てるのは「楽しく充実」ではなく、「鬱々虚しい」の方。

「わたしは、今めっちゃ鬱々虚しいっ。」と、とことん認めて、何が、どんなところが「鬱々虚しい」のか。涙する〝わたし〟に聞いてあげるところから。

「どうしたの?何が嫌なの?誰が嫌なの?」
「それで、どうしたい?」

何がとか、誰がとかの前に、〝わたし〟はそんな日々に、そんな日々を漫然と許してきた〝わたし〟に対して怒っているかもしれない。 

「 今さらなんだよっ!ずっとシカトしてたくせに!変なウソこいて、わたしを見なかったくせに! このヘタレがっっ!」

て。そしたら、それをひたすら聞いて、

「 はい、おっしゃる通りです。返す言葉もありません。ごめんなさい。」

と、ただただ黙って謝る。
そして、いまこの瞬間から〝わたし〟に従うと、〝わたし〟の言葉だけ発すると覚悟を決める。

怒りは表面上の世界に出たがるものなので、
大体それは身近な人間や、物事にぶつける形になります。

でも、自然に次から次へと込み上がってくる〝わたし〟の怒りを口にしていると、それをぶつけている相手も自然と黙って受け止めてくれるものです。

それが終わったら、「何が鬱々で虚しいの?」の段階へ。「何が」「誰が」が分かったら、なるべく早急に、それらをシャットアウトすること。有無を言わさず、理由も用意せず、全力疾走でフェードアウト!だって、〝わたし〟が嫌だと言っているんだから。
〝わたし〟は、わたしの力量とその時の器を心底理解してるので、無理難題は絶対言ってこない。そんなの難しい、そんなこと無理だと思うのは、あくまでわたしの感情的な話です。

そうやって、鬱々しい虚しい「何か」「誰が」から物理的に離れたら、『楽しい充実』を見ることができるんです。

その時にはアファーメーションなんかで必死にならなくても、『楽しい充実』を見つけることができるし、〝いつの間にか〟手にしていた事に気がつくんです。

何が嫌で、誰が嫌いかも分からない、認められない、自分に許してやれない人間に、
何が楽しくて、誰が好きなのかは分からないし、認めてやれないし、楽しいことをするのを自分に許してやれないんです。


少なくとも、〝今〟感じていることが『鬱々、虚しい、嫌』なんだとしたら、そっちの理解が先です。


まぁ、そう焦らずに。
どうせ『楽しい』は来るんだから。

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久しぶりのタリーズデレデレ


by SACHI