Happiness of woman

アラサー子なし専業主婦の幸せな世界。

Aren't you impudent, are you?

こんにちは(о´∀`о)



先週くらいの出来事ですが、


いつものように趣味を楽しみに、


出掛けました。


「さぁて♪今日も楽しみますかぁ〜」


と取り組んだのですが。


その日は、いつも普通にやっていたことが、


まったく上手くできない!(´;Д;`)


なんでよぉ?! あれっ?!と、焦れば焦るほど、


負のスパイラルにはまるワタシ。(T ^ T)


先生にヘルプをもらい、


レッスンの後半でなんとか立て直した感じでした。


この日は、なんだか恥ずかしいような、


情けないような、


そんな気分になったんですね。


「まぁ、こんな日もあるさ」


と、すぐに落ち着いたんですが。


なんとなく自分の感情が気になって、


家に帰ってから、よく見つめてみました。


すると。


恥ずかしい、情けない  


にあった具体的な思いは、



「わたしはもっとできるはずなのにっ!!」


でした。


何年もやってるし、


自分なりに一生懸命やってきたし、


上手いって褒められたし!


わたしはできるのっ!


わたしはすごいのっ!


こんなんじゃないの!





こんな思いでした。



これに気が付いて


「うわぁ、どんだけおこがましいの、ワタシ。」


とますます恥ずかし。(〃ω〃)



「わたしはすごい。」

「わたしはできる。」


こういった気持ちを、


人によっては〝自信〟と呼ぶのかもしれません。


でも、わたしにとってこういった気持ちは、


ただの〝勘違い〟です。



「わたしはできる。」

「わたしはすごい。」


と自分を持ち上げて、


それを証明しようと物事に臨もうとすると、


プレッシャーが発生します。


失敗はありえない。


上手くいかない結果なんてない。


そんな自分になりたくない。


といったプレッシャーです。


これは、〝結果への執着〟とも言えます。


プレッシャー、結果への執着を抱くと、


〝何かを行う〟といった行為が


途端につまらなく感じたり、


辛いものに感じます。


〝何かを行う〟といった行為を


純粋なものにし、楽しんだり、喜んだりしている


ベースにあるものは、〝自信〟です。


それは、


「わたしはできる。」


「わたしはすごい。」


ではないです。




「わたしはできないかもしれない。」


「わたしはすごくないかもしれない。」


でも、


「それでも大丈夫。」


「それでも幸せ。」


「それでも楽しい。」


「それでも嬉しい。」


これが〝自信〟です。




わたしはもっとできるはずなのに…


わたしはこんなんじゃないのに…



と恥ずかしい気持ちや、


情けない気持ち、


怒りの気持ちのでてくるときは、


「 え?? …あなた、たいしてできてないから。

   
    あなた、たいしてスゴくないよ?(笑)」



「  …でもね。


      それでいいんだよ。


      それが素晴らしいんだよ。


      大丈夫なんだよ。     」



「  もう、そんなに頑張らないで。」



と、〝わたし〟からワタシへのメッセージ



なのだと感じます。



変なプライド、執着、プレッシャーを


諦めたとき、



物事や世界は本当により一層



楽しく、美しく、優しいのだなぁ


と思ったGWでした( ̄∀ ̄)




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スヤスヤ♡




by SACHI