夫婦は鏡その③
こんばんは
夫婦は鏡その②の続きデス。
仕事をやめ、主人にもがっつり頼るようになって、徐々に〝あたい何もできないよ?受け取る担当(°∀°)〟の新スタイルへ変化しながらも、大好きな趣味は続けていました。
良い言い方でいったら、すごく真面目に、一生懸命に。真摯に向かい合っていました。
お金も、時間も、心も、趣味を第一優先にしていました。
でも、仕事をやめ、良き妻もやめ、といった変化をしていくなかで、趣味についても少しずつ「わたし頑張りすぎじゃね??」
と自分を客観的に見られるようになっていきました。
定期的に先生にレッスンをつけてもらうような形だったのですが、体調が優れなかったり、気分が乗らないときにはレッスンをキャンセルしたりなど、とにかく
「楽しいからやっている」
という、素直な無邪気な自分の状態に還りたいと思い始めました。
もっと上手になりたい、
もっと時間をかけたい、
もっと関わりたい、
もっと楽しみたい、
もっとお金をかけたい、
もっと満足したい、
約10年続けている過程で、もっともっとのスパイラルにはまっていたのだと思います。
すごく楽しかったから。
すごく夢中になれたから。
すごく好きだから。
最近読んだ、よしもとばななさんの本のなかで、とても良い文章がありました。
「誰でも一度くらいはおかしなタイミングのせいで、何かにそういうふうに頼ります。楽しみの域を超えて、頼ってしまうのです。楽しみのために存在するものに、楽しまれてしまっては、それはもう何かの奴隷になっているということです。
...中略
よく見たでしょう。もうすっかり体の具合が悪いのに、足をいためているのに、どうしても山を自分の足でなくてはいやだと登って会いに来る人たちを。時には、そういう目標が人に精神的な大きな川を渡らせることがあります。でも、たいていの場合、それは何かもっと大きなことから、自分の大変さを盾にして逃げているだけなのです。」
(よしもとばなな著『王国その2』)
自分のアイデンティティを、人生の楽しみのすべてを、趣味に頼っていたんですね。
だから、欲しい洋服やバックを我慢してでも趣味にお金をかけました。今の状態を絶対手放したくなかった。ゆっくりと日常を味わう、ということにも気が付かず、結構なお金や時間と心を趣味にかけていました。
でも、少しずつ少しずつそんな状態に嫌気がさしてきて、もっと自分の生活も楽しみたい、些細な日常も大切にしたいと思い始めました。そして、ぎゅーっと握りしめていた手を放そうと思いました。
そんな矢先、当時の先生との価値観の違いや信頼関係が全く築けていなかったことに絶望する機会があり、あっさりと辞めてしまいました。
まさか辞めるとは思っていなかったし、
その趣味を辞めてしまうこと、それがない生活が恐ろしくて、すぐにまた別のところで始めようとも考えたのですが、どうしても行動する気が起きなかったし、素直に「久々に趣味がない人生を楽しみたい」と思えました。
そして、実際いま。
非常に楽しいっ
あんっなに辞めることが怖かったのに!
やめたら負けだ!(何にだよ?)
って感じだったのに。
なぁ〜んだ。
あたし、何もなくても楽しいじゃん
やっと趣味から手を離し、ひとりで立って歩くことができました。
こんな感じで旧スタイルでの趣味を辞めました。
また始めるのか、いつ始めるのかは全く不明です。でも、毎日その趣味をしている自分を妄想しては、むふふ♡っとヘンな笑みを浮かべてしまう自分もいます。
未練たっぷりじゃねぇかっ(笑)
また改めて出会えるといーな
やりたいな、新スタイルでの趣味。
今はその日を勝手に楽しみにしつつ、何も持たない〝素〟の私を楽しんでいます。
あっ。こちらの方、わたしの実家の裏ボスです。
by SACHI